南千住コツ通り商店街の歴史。

JR南千住駅の西側から千住大橋へ続く道は※五街道の一つ、日光道中の一部であり、地元の人には「コツ通り」と呼ばれる。由来は中世以来の地名「小塚原(こつかっぱら)」を略した説が有力である。江戸時代は日光道中の初宿、千住宿が置かれ、当時から多くの商店が軒を連ねていた。昔は延命地蔵尊の縁日で賑わったが、今日では「ごりやく富くじ市」が開かれている。
※五街道・・・江戸幕府が定めた、日本橋(中央区)を起点とした日本の主要道路。東海道(とうかいどう)、中山道(なかせんどう)、甲州道中(こうしゅうどうちゅう)、奥州道中(おうしゅうどうちゅう)、日光道中の5道。 文章参考書籍:「南千住検定」より/(発行)荒川区立第二中学校・NPO法人すみだ川

↑南千住コツ通り戦前の様子

↑南千住コツ通り戦後の様子

↑南千住コツ通りの様子(時期不明)

↑南千住コツ通りを走る聖火ランナー 東京オリンピック/昭和39年(1964年)

↑南千住コツ通り天王祭の様子/昭和45年頃(1970年頃)[写真提供:西川雄一氏(喫茶ウィズ)]

↑南千住駅前(西口)の様子/昭和50年頃(1975年頃)

↑2014年9月現在の南千住コツ通り。(別名:吉野通り)

2010年までは商店街アーケードがあったが、老朽化の為に撤去された。

未来イメージ

現在電線地中化工事が進む。完成後は歩道がタイル状に整備され、沿道には木が植えられる予定。完成は2016年頃。

※コツ通りの写真(古今問わず/行事写真もOK)をお持ちで是非掲載したい方! [ コツ通り歴史写真掲載希望宛て]、までお問い合わせ下さい。
(掲載は無料にて。提供者のお名前も明記させて頂きます^^)

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